マツダ浪漫(2)

軽スポーツカー市場が再びダイハツとホンダにより復活しそうだ。

軽スポーツカーの全盛は1991年だった。時はバブル末期の同年には4社から挙って軽スポーツ車が販売された。

軽自動車は、1990年1月に規格改定が行われ、それまでの550ccが660ccに、長さ3.30m×1.40m×高さ2.00mまで大きくなった。

その翌年に、ホンダ・ビート、スズキ・カプチーノ、ダイハツ・リーザスパイダー、そして、マツダAZ-1という軽スポーツ車が販売されたのだった。少し遅れ1993年にはスバルが40周年記念車として高田工業に造らせたスバル・ヴィヴィオT-Topも限定販売ながら楽しませてくれた。

 

だが、マツダのAZ-1は異色の存在だった。

2シーター・ミッドシップに657ccの3気筒ターボエンジン搭載の小さなスポーツカー。ガルウィングドアを採用、全長3,295mmのボディー、5段マニュアル変速機で駆動させた。

実際のところは、エンジンもサスペンションのコンポーネンツ部分は、スズキのアルトワークスのものだった。

それをマツダの技術者がチューニング、ほぼ50対50の重量配分を持つ理想的なスポーツカーに創り上げた。スズキからも「キャラ」というネーミングで販売した。

ところが、マツダは、マツダ浪漫の真骨頂であるロータリーエンジン開発に巨費を投じていたため、バブル崩壊により、売れ行き不振に陥り、事業再編を迫られ、2年後の93年にはAZ-1は生産中止に追い込まれた。

広島の田舎にあり、軽でもあっと驚かせるシロモノをマツダ技術陣は創り上げてきた歴史がある。

 

 

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