VWで権力争い勃発

独経済紙ハンデルスブラッドによると、VWの監査役会は、経営トップの対立解消に向け、5月5暇株主総会に先立ち、ピエヒ会長(78歳)を含む監査役会の主要メンバーが近く会合を予定しているという。
ピエヒ監査役会会長とウィンターコルンCEOとの関係修復が狙いだという。

ピエヒ会長は、独誌の今月号で、ウィンターコルンCEOを批判したことから、経営陣の反発を招いていた。
先週開催された監査役会運営委員会で、ピエヒ会長がほかのメンバーと激しく対立、これまで絶大だったピエヒ会長の発言力が低下したうえ、一時、解任の瀬戸際まで追い込まれたという。

ピエヒ会長は、元々VW創業家の一員であり、20年以上にわたり、VWに対し強い影響力を行使してきていた。

中国での販売絶好調が続き、業績向上のVWであり、業績は向上し続けており、こうした状況下ではCEOは批判されないのが欧州、批判する方が株主から批判される。
戦後、英国により組織再編されたが、技術や従業員はそのまま残ったことから、1943年には新組織で操業開始している。

<ポルシェの歴史>
ポルシェ創業者:フェルディナント・アントン・エルンスト・ポルシェ 通名:フェリー
フェリーは父が経営する機械や自動車の設計事務所を手伝い、ヒトラーに認められたポルシェ60=フォルクス・ワーゲン(国民車の意)を開発した。戦時、父とともに戦車などの開発に従事、こうした戦車は、大量の捕虜やユダヤ人たちが工場に送り込まれ生産された。

戦後の1945年フェリーは戦争犯罪者として父や伯父らとともに逮捕されたが翌年には出獄した。父経営の設計会社はそのまま戦後も残り、父が投獄されている間、フェリーが実質的に経営管理した。
フェリーは、イタリア人の実業家から依頼され、ポルシェの原型となるポルシェ360を開発、ポルシェ社を創業、1948年には自社生産を開始している。

フォルクスワーゲンは戦後新組織で運営され、ボルシェと相互協力関係を築き、ポルシェがVWの株も所有した。ポルシェ一族の持株会社がPAHSE社。ピエヒ会長は、フェリーの伯父のアントン・ピエヒ(姉、ルイーズ・ピエヒの夫)の子供。

2012年7月、フォルクスワーゲンはポルシェAG社を完全子会社化した。しかし、フォルクスワーゲン社の議決権株式の過半数はポルシェ・オートモービル・ホールディングSE( PAHSE社)が保有している(所有株数は18%程度)。

<ピエヒ会長>
VW監査役会フェルディナント・ピエヒ会長は、ポルシェ、アウディで活動の後、フォルクスワーゲンの取締役会会長を経て、現在同社監査役会の会長を務めている。
ポルシェの大株主として、またオーストリアにおけるフォルクスワーゲン販売会社の大株主として、両社株式のそれぞれ10%以上を実質保有している。

ピエヒ氏は、ポルシェ時代に、904、908、910、917の設計に携わった。ビートルの後継車EA266の開発も行った。ボルシャ社が一族経営の弊害規定を設けたことから、ポルシェ社から離れ、一時コンサルタントに、アウディ社の開発担当重役になり、4WDシステムのクワトロを開発した。 また、直列5気筒ターボエンジンなどの開発にも当たった。アウディの親会社のVWの会長に就任、VWではベントレー、ランボルギーニ、ブガッティといった高級スポーツカーメーカーを次々と買収したことで知られる。

現在のVWの経営陣からしてみれば、業績も好調下、ピエヒ会長らポルシェ一族は目の上のたんこぶ状態、早くVWから追い出し、ポルシェ一族の持株会社PAHSE社を買収し、ポルシェを完全に支配下に置くのが念願となっている。
ウィンターコルンCEOはピエヒ会長が、アウディから引っ張りあげて就任させたCEOであるが、技術者であり強力な個性の持ち主のピエヒ会長と経営方針にズレが生じているようだ。

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